定年退職後に同業他社から声がかかったり、これまでの経験を活かして独立を考えたりする60代は多い。ところが、入社時や役職に就いたタイミングで交わした誓約書に「競業避止義務」や「秘密保持義務」の条項が含まれていることを、退職の段階まで忘れているケースがある。退職後に動き出してから会社側とトラブルになる前に、在職中のうちに契約内容を確認しておく必要がある。
競業避止義務とは何か
競業避止義務とは、退職後の一定期間、同業他社への就職や同種事業の開業を制限する取り決めのことだ。就業規則に一般条項として書かれている場合と、退職時に個別の誓約書へのサインを求められる場合とがある。役員や管理職として機密性の高い情報に触れてきた人ほど、競業避止の対象範囲が広く設定されていることが多い。退職金の減額・不支給条項とセットになっているケースもあり、「同業他社に再就職した場合は退職金を減額する」といった条件が就業規則に明記されている会社もある。
競業避止条項がそのまま有効とは限らない
競業避止義務を定めた条項があっても、それが法的に有効かどうかは別の問題だ。裁判例では、制限される職種の範囲、地域、期間の長さ、代償措置(競業避止の対価となる手当や退職金の上乗せがあるか)などを総合的に考慮して、有効性が判断されてきた。制限期間が2〜3年を超えて長く、代償措置もないまま職業選択の自由を大きく制約する内容になっている場合、無効と判断される可能性がある。ただし、この判断は個別の事情によって変わるため、退職前の段階で「うちの会社の条項は有効なのか」を自己判断で決めつけず、契約書の文言を確認したうえで、社会保険労務士に契約内容の見立てを聞いておくと、退職後の動き方を決めやすくなる。
誓約書に代償措置が書かれているかを確認する
競業避止義務の有効性を判断するうえで重視される「代償措置」とは、競業を制限する見返りとして会社が支払う金銭のことを指す。退職金の上乗せ、競業避止手当の支給、在職中の役職手当への上乗せなどが代償措置にあたる。契約書に競業避止義務だけが書かれていて、それに見合う代償措置が一切ない場合、後々その条項の有効性が争われた際に無効と判断される可能性が高くなる。退職前に契約書を読み返す際は、制限の内容だけでなく、その見返りとして何が支払われているのか、あるいは支払われていないのかを確認しておくと、会社側と話し合う際の材料になる。
秘密保持義務は競業避止と別に存在する
競業避止義務とは別に、在職中に知り得た営業秘密や顧客情報の漏洩を禁じる秘密保持義務は、退職後も期限の定めなく効力が続くのが一般的だ。転職先や独立後の事業で、前職の顧客リストや価格表、製造方法などを使うと、不正競争防止法上の「営業秘密の不正使用」に該当するおそれがある。退職前に、業務上作成した資料や顧客データを個人のUSBメモリやクラウドストレージに保存していないか確認し、私物として持ち出せる資料とそうでない資料の線引きを、退職前に総務担当者やコンプライアンス部門に確認しておく。
実際にあったトラブルの例
ある元食品メーカー営業部長の64歳男性は、定年退職後に同業種の卸売会社から声をかけられ、取引先の一部が重なる会社への再就職を決めた。退職時に交わした誓約書に競業避止義務の条項があったことを退職の1週間前になって思い出し、慌てて内容を確認したところ、制限期間は1年、対象地域は関東圏内という条件だった。結果的に再就職先が関西を中心とした企業だったため問題にはならなかったが、もし関東圏内での再就職であれば、退職金の一部返還を求められる可能性があったという。誓約書の内容を退職の数か月前から確認していれば、再就職先を探す段階から条件を踏まえた判断ができたはずだと振り返っている。この男性のように、退職の間際になって契約内容を思い出すケースは珍しくなく、再就職先や取引先が決まってから条項を確認すると、選択肢がすでに絞られた状態で条件と向き合うことになる。
シルバー人材センターや派遣での再就職は対象になるか
競業避止義務の多くは「同業他社への就職」「同種事業の開業」を対象にしており、業種の異なる仕事に就く場合は制限の対象外となるのが一般的だ。シルバー人材センターへの登録や、シニア世代の派遣で働く選択肢は、前職と同業種の企業からの受注業務に就かない限り、競業避止義務に抵触しにくい。ただし、シルバー人材センター経由の仕事でも、結果的に前職の取引先から直接業務を請け負うことになった場合は話が別で、契約書の文言に「取引先への関与」まで含まれていないかを確認しておく必要がある。退職金の減額幅は会社によって差があるが、就業規則に「同業他社就職時は退職金の50%を減額」といった具体的な割合が明記されている例もあるため、数字まで含めて契約書を読み込んでおく。
兼業・副業の許可制度も退職前に確認する
在職中に、退職後の事業準備として個人事業の開業届を出したり、業務委託契約を結んだりする場合、多くの会社では就業規則で兼業・副業に会社への届け出や許可を必要としている。定年退職前の在職中に無断で副業を始めてしまうと、就業規則違反として退職金の減額対象になることがある。独立してフリーランスになる準備を進めている人は、在職中の兼業許可の要否を人事担当者に確認したうえで、開業準備を始めるタイミングを退職日以降にずらすかどうかを判断しておく。
退職前の確認手順
まず、入社時や役職昇進時に交わした雇用契約書、誓約書、就業規則の該当条項をすべて集める。総務部門や人事部門に「これまでに提出した誓約書の写しがほしい」と依頼すれば、多くの会社は保管している書類のコピーを渡してくれる。次に、競業避止の対象となる期間・地域・職種の範囲を書き出し、自分が退職後に想定している再就職先や事業内容と照らし合わせる。制限期間が「退職後1年間」なのか「退職後3年間」なのかによって、再就職や開業の時期をずらすかどうかの判断が変わってくる。判断に迷う場合は、契約書の写しを持って社会保険労務士や弁護士の無料相談窓口に相談する方法もある。多くの自治体では、社会保険労務士会が実施する無料相談会を月に数回開いており、こうした窓口を使えば費用をかけずに契約内容の見立てを聞ける。
定年前の会社との交渉の進め方とあわせて、退職条件の一環として競業避止義務の範囲を緩和してもらえないか、人事担当者と話し合っておくと、退職後に動ける選択肢が広がる。再雇用か退職かを選ぶ判断基準を考える段階から、競業避止義務の有無を判断材料のひとつに加えておくと、退職後の選択肢を狭めずに済む。
よくある質問
Q. 競業避止義務の誓約書にサインした記憶がありません。どう確認すればいいですか。
A. 人事担当者に、入社時や昇進時に交わした書類の写しを請求すれば確認できることが多い。会社に保管されている雇用契約書一式の開示を、退職前に人事担当者へ依頼しておく。
Q. 定年退職の場合も競業避止義務は適用されますか。
A. 自己都合退職や会社都合退職と同様に、定年退職であっても契約上の競業避止義務は適用されるのが一般的だ。定年退職だから免除されるという規定は、多くの会社の就業規則には設けられていない。
Q. 同業他社に再就職すると必ず退職金が減額されますか。
A. 就業規則に減額・不支給条項が明記されていて、かつその条項が有効と判断される場合に限られる。条項の有無と内容は会社ごとに異なるため、退職前に就業規則の該当箇所を確認しておく必要がある。
実際に競業避止義務の確認で悩んだ体験談も取材しています。ご自身の経験を話してみたいという方は取材にご協力ください。


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