海外駐在や貿易実務、あるいは独学で磨いてきた語学力を、退職後の仕事に転用したいと考える人は多い。だが「英語ができる」というだけで通訳や翻訳の仕事が務まるわけではなく、通訳と翻訳はまったく別の技能として捉えたほうがいい。どちらが自分に向いているかを見極め、現実的な単価感を知ったうえで動き出すと、想像と現実のギャップに戸惑わずに済む。
通訳と翻訳は別の技能だと理解する
通訳は話された言葉をその場で別の言語に変換する仕事で、相手の発言を待たずに訳す同時通訳と、発言の区切りごとに訳す逐次通訳がある。瞬発力と度胸、その場の空気を読む力が求められ、一度発した言葉は基本的にやり直しがきかない。一方、翻訳は文書として書かれた文章を別の言語に置き換える仕事で、辞書や参考資料を調べながら時間をかけて正確な訳文を組み立てる作業だ。語学力そのものよりも、日本語の文章として読みやすく仕上げる文章力や、専門用語を正確に訳す調査力が問われる。
どちらが向いているかを見極める手がかりは、これまでの仕事のスタイルにある。会議やプレゼンの場で英語を使い、その場でとっさに言葉を返すことが多かった人は通訳に、報告書や契約書、マニュアルといった文書を英語でやり取りすることが多かった人は翻訳に、それぞれ適性がある場合が多い。両方に興味がある場合は、まず翻訳から始めて文章力を鍛え、その後にボランティア通訳などで実践経験を積む順番を選ぶ人が多い。
翻訳の仕事を始める道筋
翻訳会社のトライアルを受ける
実務翻訳の仕事を得る王道は、翻訳会社に登録してトライアル(実力判定のための試訳)に合格することだ。サン・フレアやアイ・エス・エスといった老舗の翻訳会社は、シニア層を含めた登録者を随時募集している。トライアルでは製品マニュアルや契約書の一部など、実務に近い題材が出題され、合格すると案件を紹介してもらえる登録者名簿に載る仕組みだ。日本翻訳連盟(JTF)が実施する「ほんやく検定」のような資格を持っていると、応募時のアピール材料になる。
クラウドソーシングで案件を探す
クラウドワークスやランサーズ、Conyacといったクラウドソーシングサイトでは、企業や個人から単発の翻訳案件が日々発注されている。実績がなくても応募できる案件が多い反面、単価が低めに設定されがちで、実績を積むための足がかりと割り切って使う人が多い。プロフィール欄に前職での専門分野や取り扱ってきた文書の種類を具体的に書いておくと、専門性を求める発注者の目に留まりやすくなる。
通訳の仕事を始める道筋
通訳は翻訳以上に実績づくりが重要になる。手始めに、自治体の国際交流協会や観光協会が募集している「ボランティア通訳ガイド」に登録し、外国人観光客への道案内や施設案内を通じて実践経験を積む人が多い。全国通訳案内士は観光ガイドとして報酬を得られる国家資格で、試験に合格すれば地域の観光ボランティア団体を超えて、有償の観光通訳の仕事につながる道が開ける。ビジネス通訳を目指す場合は、通訳養成スクールの実務コースを受講し、そこで紹介される企業の商談通訳や工場視察の同行通訳から実績を積むのが一般的な流れだ。
現実的な収入の目安
翻訳の単価は分野によって差が大きいが、実務翻訳では原文1ワードあたり10円〜20円、日本語の文字数換算では1文字5円〜15円程度が相場とされる。未経験者は相場の下限からのスタートになることが多く、月に3万〜5万円程度の副収入というのが現実的なラインだ。通訳は日当制のことが多く、ボランティア通訳ガイドは無償か実費支給のみのケースが大半だが、有償の商談通訳・随行通訳では日当2万円〜5万円程度、専門性の高い会議通訳ではさらに高い水準になる。いずれも会社員時代の月給に匹敵する収入を最初から見込むのは難しく、在宅ワーク・クラウドソーシングで働くという選択肢と同じく、年金収入に上乗せする副収入として位置づけておくと現実的な計画が立てやすい。
語学力より「専門知識」が武器になる分野
実務翻訳の世界では、語学力そのものよりも元の業界での専門知識が評価される場面が多い。たとえば元エンジニアが機械や電子機器の技術文書を翻訳する場合、業界特有の用語や図面の読み方を理解しているぶん、語学専業の翻訳者より正確で速い訳文を仕上げられることがある。同様に、元薬剤師や医療機器メーカー出身者は医薬・医療分野の翻訳で、元法務担当者は契約書や特許関連の翻訳で強みを発揮しやすい。応募の際は語学力だけでなく、前職でどの分野の文書に日常的に触れてきたかを具体的に伝えると、専門分野の案件を探している翻訳会社の目に留まりやすい。
自動車部品メーカーで技術資料の英文作成を担当していた65歳の男性は、退職後に産業機械分野を専門とする翻訳会社のトライアルを受け、合格して半年で月5万円ほどの翻訳収入を得るまでになった。「英語力だけなら自分より上の人はいくらでもいる。でも図面の指示記号や工程名を正確に訳せる人は少なかった」と話す。専門用語辞典を自作しながら訳語を統一していく作業は、現役時代の技術文書のレビュー業務とほとんど変わらなかったという。
海外での駐在や生活経験がある人は、海外移住・ロングステイという選択肢で触れられているような海外との関わり方の延長として、現地の文化や商習慣の知識を翻訳・通訳の仕事に生かせる場面も多い。企業に籍を置かず語学と専門知識を組み合わせて助言する資格なしでも始められる「顧問・アドバイザー」という働き方と組み合わせて、通訳・翻訳を副業の一つに据える人もいる。
始める前に整理しておきたいこと
応募書類を作る前に、これまでの仕事でどの分野の英文・外国語文書を扱ってきたか、TOEICや英検などの資格スコアはいつ取得したものかを一覧にまとめておくと、翻訳会社への登録やクラウドソーシングのプロフィール作成がスムーズになる。退職前にスキルの棚卸しをする方法で紹介されている整理の仕方は、語学力と専門知識の組み合わせを言語化する際にもそのまま応用できる。ほんやく検定やTOEIC、通訳案内士試験など、退職前後の時間を使って資格を取り直しておく人も多く、資格取得で新しい分野に挑戦するで紹介されている進め方が参考になる。
よくある質問
Q. TOEICのスコアはどのくらいあれば仕事になりますか。
A. 翻訳会社への登録では900点程度が一つの目安になることが多いが、点数よりも専門分野の文書を正確に訳せるかどうかがトライアルで問われる。通訳の場合はスコアよりも実際の会話での瞬発力や場数がものを言うため、スコアだけで判断せず実践経験を積むことを優先したい。
Q. 通訳と翻訳、どちらから始めるべきですか。
A. 未経験からであれば翻訳のほうが取り組みやすい。自分のペースで訳文を練り直せるため、通訳より心理的なハードルが低い。文章力に手応えを感じたら、ボランティア通訳ガイドなどで通訳の実践経験を積んでいく順番がおすすめしやすい流れだ。
Q. 語学の勉強を今からやり直す必要がありますか。
A. 日常会話レベルの語学力があれば、専門分野の翻訳から始められることが多い。むしろ業界用語や文書の型を理解しているかどうかのほうが実務では重視されるため、語学の勉強と並行して自分の専門分野の英語表現を集中的に学び直す人が多い。
語学力は使わなければ錆びついていくが、翻訳会社のトライアルやボランティア通訳といった実践の場に一度身を置くと、感覚は思った以上に早く戻ってくる。まずは自分の専門分野に近い翻訳会社のトライアルを一社受けてみるところから始めてみるといい。
実際に通訳・翻訳の仕事を始めた人の体験談も取材しています。ご自身の経験を話してみたいという方は取材にご協力ください。


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